[ガイナでボランティア]

横浜市立西本郷小ボラ

横浜市立西本郷小ボラ
横浜市立西本郷小ボラ
横浜市立西本郷小ボラ
横浜市立西本郷小ボラ
横浜市立西本郷小ボラ
横浜市立西本郷小ボラ
横浜市立西本郷小ボラ
横浜市立西本郷小ボラ
横浜市立西本郷小ボラ
横浜市立西本郷小ボラ

本日は横浜市西本郷小学校による親子塗装教室、
60周年の佳節、お世話になった学校をきれいにしたい、「あとから入ってくる新入生に何かを残してあげたい」「今いる生徒たちに喜んでほしい」「卒業の思い出をつくりたい」そんな真心から親子で学校のペンキ塗りをしようとなったところ、偶然にも私たち塗魂ペインターズのことを知ってくださり、6年生と親御さん有志、塗魂ペインターズのコラボによるこの度に塗替え活動となりました。

私たちの活動は、けして背伸びするわけでなく、自分たちのありのままの姿で、自分らしく、相手を笑顔にすることで、自分自身も照らされゆく、自他共の幸せを目指す活動です。
もう少し詳しく表現すると、相手に喜んでいただき、感謝していただけることで、そこに自分自身の存在意義が実感し、それを糧にすることで経済活動においても実績を出し、その実績で生み出した利益を社会貢献活動にあて、さらに多くに人に喜んでもらうことで更なる心の糧を得、それを燃焼させ、更に広い社会での戦いに向かい、自他ともに喜びある循環を志向する仲間たちです。

自分だけの幸せもなければ、他人だけの不幸もない、

自分という一人の人間は、単独ではけして存在することはできず、友人、愛する家族、尊敬する先輩、地域の人々、それらの人々との関係の中にこそ自分自身が存在し、けして切り離して考えられるものではないことを知悉しているからなのであります。

そして、このような活動を継続する中で、様々な人たちと出会い、ある時は悲しみを、ある時は喜びを分かち合うことで、本来、人間に上下などはなく、「他者の命も自分の命と全く等しく尊い存在」ということを心の底から実感することができるのです。

出身がどうだとか、お金があるとかないとか、学歴があるとかないとか、少数派だとか多数派なのか、そんなことは個性であっても、上下になりうる属性にはならないことは知悉しぬいているのです。

さて、先日、相模原市における障害者施設を襲い何人もの尊い命を奪うという許しがたき犯行がありました。
突然奪われた尊い命のことはもとより、ご家族の気持ちに思いを馳せると、あまりにも痛ましく、あまりにも悲しく、と同時に憤り抑えがたく、絶対に許すことのできない蛮行であることは言うまでもありません。

歴史を振り返れば、人種差別による大量虐殺があった時代がありました。
しかし、これは、今なお、けして過去のこととして片づけることのできません。
最近では、フランスのミースやバングラデシュで行われたテロによる残虐行為もあった。身近なところでは、憎悪に支配されたヘイトスピーチがあり、いじめも絶えることはありません。
そして、そこに必ずと言っていいほど、当事者に群がり一緒になって憎悪を煽る狂気じみた人々がいて、悲しき無関心な傍観者も存在します。

外面には様々な形で現れますが、これらの差別の根源に対し、インドの先哲釈尊は、「人の心の中に見がたき1本の矢が刺さっているのをみた」と表現し、人の心に巣食う他人を見下だし自分自身を優位に立たすねじ曲がった自己愛を喝破しておりました。
オバマ大統領のミシェル夫人も、自分の幼少のころの体験の中で、差別を話しする際に引用したのは有名な話でもあります。

はなはだ生意気ではございますが、私たちは塗装ボランティアを通して古い遊具や校舎を塗り替えることを通じて、人々の心を塗り替えたい。

私たちが活動を通し心から実感している感覚…
本来、育った環境、職業や趣味、信条や生き方、民族、宗教に至るまで、差異は差別の対象ではなく、光り輝く個性という多様性の源であるとはっきり申し上げたいのです。

私たちは、ありのままの姿で、自分らしく、相手のこれまで紡いできた人生の物語に真摯に耳を傾け、あらゆる人と友情を育み、一人一人の心にあかりを灯すことで、自身が照らされゆく、自他共の幸福を目指してまいります。

それが塗魂ペインターズの理念だからです。

[ガイナでボランティア]

ベトナムボランティア

ベトナムボランティア
ベトナムボランティア
ベトナムボランティア
ベトナムボランティア
ベトナムボランティア
ベトナムボランティア
ベトナムボランティア
ベトナムボランティア
ベトナムボランティア
ベトナムボランティア

ここで生まれた人々は愛する祖国ベトナムをこう称える。

「金色の山々と銀色の海が広がる麗しきふるさと」

しかし、この麗しきふるさとがどれほど悲惨な戦争に蹂躙され悲しい思いをしたことだろう…

フランスによる植民地支配、日本軍の進駐、太平洋戦争が終わり、ようやく独立国家をたちあげるや束の間、再びフランス侵略による南北分断、8年の歳月が過ぎ、必死の思いでフランスから守ると、まさかの大国アメリカの介入。

北爆という第二次世界大戦で使用された爆弾の総量を上回る大爆撃の中で、アメリカの指揮官は「ベトナムを石器時代に戻してやる」との傲慢な言葉を言い放ち、

アメリカ兵士は自由を脅かす共産主義者との闘いだと教えられ、東洋人は黄色いケダモノだと洗脳される。

戦場では、たとえ女性であれ、子供であっても、数多く殺すものこそが英雄視された。

しかし、黄色いケダモノと標的にされたベトナム人は、ふるさとである美しい大地と愛し、愛する家族を守り、細やかな幸せを望んでいる父であり母であり未来ある子供たちであったのです。

殺さなけば、自分が殺されるかもしれないという恐怖心が、無抵抗な人でさえ敵に見させてしまうという極限状態、ある村では、女性、老人、子供までもが数百人が虐殺される。

麗しき金色の山々には猛毒のダイオキシンを含んだ枯葉剤がまかれ、緑の大地はこげ茶色の枯れ木の山となった。

そして、のちに生まれながらにして障害のある多くの子供が生まれ、さらなる悲劇を生みだしました。

8歳の娘と3歳の息子を殺された父は嗚咽し「何が憎くて人の国へ勝手に入り子供まで殺すのか?」かけがいのない家族を失った憤りと悲しさで涙は枯れることがなく、憎悪は消えることはない。

あるアメリカ兵士は自分が殺したベトナム兵士の胸のポケットを弄り、彼と彼の娘がほほ笑んで並んでいる記念写真を見つけた。

優しいベトナムの父は将来があるだろう若いアメリカ兵士と対峙し、殺すことを躊躇し、殺されることを選択したに過ぎなかった。

それを直観したアメリカ兵は生涯罪悪感に苦しみ続ける。

黄色いケダモノと信じていたベトナム兵士は娘の幸せを願い、ふるさとを守ろうとしていた心優しい父だったのだ。

本来人々の自由と平等を追求し平和のためのイデオロギーが罪のない人々を殺すことになる本末転倒、罪のない人々を殺しても守らなければならない主義や主張とは一体いかなるものなのか…

戦場を離れ自分自身の内なる声に耳を傾け、いくら悔やんでも、犯してしまった罪と心の中の闇は消えることがない。

人間は善にもなりうるし悪にもなりうる。

本当の敵は自分と異なるイデオロギーを持つ人でもなく、自分と異なる宗教を持つ人でもなく、自分と異なる民族でもなく、自分と異なる国家に住む人でもない。

本当に対峙しなければならない敵は、人間の心の奥底に宿る、人を思い通りの動かそうとする支配の心、差異を憎む心であって、自分と異なる他者ではなく、自分自身の内なる悪ではないだろうか…

この戦争で、米軍6万人、北ベトナム解放軍100万人、南ベトナム政府軍24万人、民間の犠牲者50万人の上ったといわれています。

数が多いから悲惨なのではない。

亡くなった一人一人が大切な父であり、心優しい母であり、未来ある子供たちで、ひとりひとり紡いできた人生の物語と大切な夢と、無限の可能性を瞬時に奪うことが戦争の残酷さであり悲惨さなのです。いかに大義名分で取り繕っても愚行以外の何物でもなかったことを厳しく受け止めなければなりません。

さて、戦後40年、現在、当時サイゴンと呼ばれたここホーチミンの中心の道路は舗装され、海外のブランド店が立ち並び、高級車なども通り経済成長を果たし、一見すると幸せをつかんだかのように見えます。

しかしながら一歩町を離れると、未だ9割以上は貧困層、病気になってもお金がかかり、病院には行かせることができないという家庭がほとんどです。

過去の爪痕はほんの一部分を表面的には隠せてもたった数十年で消し去ることはできないのです。

戦後40年の節目、過去の歴史と現状のベトナムに思い馳せ、一人の日本人医師と心優しき看護師が立ち上がる、その医師とはかつては人間の尊厳のため公正な立場で紛争地や自然災害地に従事する「国境なき医師団」に所属し、東日本大震災の発災の2日後には国連からの指令でニュージーランドの災害現場から台湾医療チームと一緒に福島に入って被災者の治療にあたった世界を駆け巡る名医、

一方、看護師は東京の大学病院の勤務を経て、若くして婦長となり日本で優秀な看護師の輩出に尽力された優秀で心美しき看護師です。

自分のことだけを、自分の家族のことだけを、自分と親しい友人のことだけを考えるなら日本はもちろんのこと、先進国で従事することで生涯豊かな生活は約束されています。

しかし、世界を知り、貧しい子供たちの存在を知り、その子たちの未来に思いを馳せるとき、自分だけの幸せだけを追い求める人生では「魂」を納得させることができなかったのでした。

国籍は日本、しかしながら心の中は国境など存在せず、世界市民としての自覚が安きに甘んじることを許さないのであります

「自分だけの幸福や安全もなければ、他人だけの不幸もないこと」を観念ではなく魂で知っている名医と看護師の物語がここベトナムで始まろうとしていました。

曰く、「貧しい子供から医療費をもらうつもりは微塵もない」「私はお金では動かされない、魂で動くのです」「数年後ここベトナムから優秀な医療者が陸続と排出されることになるのです、きっとその子たちが貧しい子供たちを助けてくれるに違いありません」

ただ一つの憂いは、いくら医療技術があっても医療を施す空間が不衛生であるならば、感染症で亡くなるケースも少なくない。現に、衛生的とは言い難い空間で、できる限りの医療を施した患者が感染症で命を落とす悲しい出来事も経験した。

銭勘定抜きにして、平和な未来を育む戦いに心から賛同し、急きょ塗魂ペインターズの海外ボランティア第2弾、ベトナムボランティアが決定したのでした。

わずかな滞在期間とわずかな人数で、診療室1室と医務室1室を断熱ガイナで塗装させて頂くことになったのです。

ある人は言う、もっともっと貧しい国や地域はある、ここだけをボランティアしたところで焼け石に水ではないだろか?

親愛なる塗魂家族の皆様、ちっぽけな波騒など気にせず、悠々と見下しながら大胆に生きましょう!

私たちは限りある人生の途上にあって、出会うことができる人はほんの一握りであり、その出会いは偶然ではなく必然であることを知っている。

一人の人間の可能性は無限大ゆえ、目の前の一人に真剣に向き合うことが世界に向き合うことに通じるということを知っている。

たった1つの診療室と1つの医務室が、ここベトナムの子供たちの命を救うことで、その命が、人間の尊厳を輝かせ、戦争のない世界へと変革し行く無限の可能性を秘めていることを知っている。

なぜなら、私たち塗魂ペインターズは不幸で泣いた人こそが、誰よりも幸せになる権利があり、誰よりも幸せにする力を秘めていることを知っているからです。

[ガイナでボランティア]

西巣鴨小ボランティア

西巣鴨小ボランティア
西巣鴨小ボランティア
西巣鴨小ボランティア
西巣鴨小ボランティア
西巣鴨小ボランティア
西巣鴨小ボランティア
西巣鴨小ボランティア
西巣鴨小ボランティア
西巣鴨小ボランティア
西巣鴨小ボランティア

塗装で出来る社会貢献、塗魂ペインターズ

実は塗魂発足5年目にして初めての地元である豊島区での開催です。

2週にわたって地元東京塗魂中心に準備を進め、2.27に親子参加による塗装教室を行いました。

どれくらいに人数が来られるかも全く不明、100人を目標にしていたところ集ってくださった方はなんと270人、近所ということもあり娘と娘の友人を誘っておりましたので、楽しく有意義な1日を過ごさせて頂くこっとなりました、また、西巣鴨小学校の102周年記念行事として十分お役に立てたことに心より満足しております。

さて、繰り返しでございますが、一体何のためにこのような社会貢献活動を行うかと申しますと、

他でもない自分自身が充実した人生を歩みたいからです。

限りある1度の人生を悔いないよう過ごしたいからです。

自分は生まれてきてよかったと心の底から実感したい

いじめや虐待など、腐った行為をなくす力をつけたい。

世界に目を向け紛争や戦争をなくす力を付け、ほんの少しでも役に立ちたい。

それが自分自身にとって見えざる心の財産であり人生を豊かにする唯一のことだと確信しているからであります。

先日ウルグアイのムヒカ前大統領が来日されました。

2012年のリオデジャネイロでのスピーチにおいて

「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲がありいくらあっても満足しない人のことだ」との言葉を残した大統領です。

 

最後にムヒカ前大統領の来日時に残した言葉を紹介させて頂きます。

「“私たちは今幸せに生きているのか”ということを常に考えることです。

私たちは多くの富を抱え、科学技術が進歩した時代に生きています。

150年前と比べて人間の寿命は40年も伸びた一方で、軍事費に毎分200万ドルもかかるようになり、世界で最も裕福な100人ほどが人類の富の半分を所有するようになってしまいました。

こうした不均衡を作りあげたルールが支配する世界になっています。

若い人には私たちの愚かな過ちを繰り返さないでいただきたいです」

「私は修道士のように生きろと言っているわけではありません。

富に執着するあまり絶望に駆られる人生を送ってほしくない、ということです。

ささいなことではあっても人間にとって本当に重要なもの、

たとえば愛であったり、

子どもを育てることであったり、

友達を持つこと、

そういうことのためにこそ人生の時間を使ってほしいと思います。

生きていること自体が奇跡なのですから」

[ガイナでボランティア]

常総ボランティア

常総ボランティア
常総ボランティア
常総ボランティア
常総ボランティア
常総ボランティア
常総ボランティア
常総ボランティア
常総ボランティア
常総ボランティア
常総ボランティア

 2015年9月、鬼怒川の堤防決壊によ大きな被害がもたらされてしまった茨城県常総市

川が氾濫し建物は大人の腰以上に水につかってしまい、避難指示が出たてしてもどこに何も持って避難していいのかわからない。

「まさか自分こんな目に合うとは…」

災害に会ったまさかの出来事に一様に「まさか自分か…」との言葉が頭をよぎる。

一方、同じ茨城県でも鬼怒川を少し離れると全く被害はなし、ほんの少しの違いが天地雲泥の差になること目の当たりにしながら、「いったい自分に何ができるのか…」と考え続けていた塗魂ペインターズのメンバーがおりました。

茨城県守谷市に在住のプラティナコーティング 大野社長です。

「自分や家族が被害に会わずほっとした」もちろんある一面これも素直な気持ち、

しかし、同時に被害にあった方を目の当たりにする中で心を痛め

「社会貢献を経営理念にうたいいながら同じ県内で起こった災害に対し、自分はいったい何ができるのか…」と苦しむ、これもうそ偽らざる素直な気持ちです。

あれこれ考えることより、とにかく動こうと、やむにやまれない思いで現地に駆けつけるも、あまりの被害の甚大さに呆然とするばかり、只々自己の無力さを痛感する中で自分が最も力を発揮できる状態となるまで、機が熟すのを待まっていました。

鬼怒川の堤防が強化された。

道路上の土砂が片付けられ車や人が通れるようになった。

幼稚園や学校の床と壁の補修も完了した。

しかし、行政の予算はこれが限界、壁や遊具をきれいにするまでの予算はない。

迷うことなく2月下旬に再開するためにどうにかできないかとの声に呼応し、今回の常総ボランティアとなったのであります。

幼稚園の先生やご両親はとても喜んで頂き、ペインターズだけに任せるのは申し訳ないということで、私たちと一緒になっての親子塗装教室がこの常総ボランティアとなった経緯です。

 

偉大なる人間教育の先哲は、人間の生き方には大別して3段階あるといいました。

自分の持つ可能性を実感できず、ただただ周囲に合わせ、人や環境に依存する生き方、

自分自身の人生の舵取りをしようとする意思はあるものの他人に対する眼差しは冷ややかで、他人が困難に直面しても本人が何とかすべきであると自己責任論を展開する生き方

自分と他人との間に線を引くことなく、自分だけの幸福もなければ、他人だけに不幸もないことを気づいており、積極的に人に貢献しようとする生き方

そして、先の2つの生き方のような悪いことをしなくても、良いことをしないのは結果として悪と何ら変わりがないと喝破したのでした。

一見すると厳しい意見にも聞こえますが、例えば、川で溺れている子供がいた場合、なぜ足を踏み外してしまったのか、誰かに押されたのかなどを問うのではなく、まず何とか助けようと努力することが人間として、人間らしいの振る舞いであるといえましょう。どんな理由であれ、「私が溺れさせたのではない」などといって傍観するのはあまりにも理不尽であり、悪に通じるということは誰にも容易に理解できることと思います。

自分が原因でないにしても困った人を目の当たりにし何ら手を差し伸べることができない人は悪や不幸を増長することがあっても、微塵の幸せをもたらすことができません。

「自分は人に迷惑をかけない生き方をする」などどいった消極的小善的な生き方は、結局は「人の不幸の上に自分の幸せを築く」といった悪に生き方に飲み込まれていってしまうのです。

 どうせ生きるなら、小善的な自己満足や自己責任論を展開させ利口ぶった生き方などには興味がない。

どうせ生きるなら、自分た他人に小さな垣根など悠々と乗り越え、自分の努力によって人々に笑顔の明かりと灯し、自己の存在意義を実感しながら生きていきたい。

どうせ生きるなら、自己の無限の可能性を信じ、より良き社会を変革する主体者としての生き方を全うしたい。

 なぜなら、私たち塗り魂ペインターズは「真の幸福は、社会の一員として人々と苦楽を共にしなかれば得ることはできない」との先の先哲の言葉の意味を少なからず実感としてつかみ取っているからなのです。

[ガイナでボランティア]

塗魂ペインターズinハワイ

真珠湾アリゾナ記念館における献花

真珠湾アリゾナ記念館における献花

天使のような笑顔

天使のような笑顔

屋根の上にガイナ

屋根の上にガイナ

松島塗魂応援団長とギャリーさん

松島塗魂応援団長とギャリーさん

飛行機に向かって!

飛行機に向かって!

恋人のような親子

恋人のような親子

塗魂前事務局長と現事務局長

塗魂前事務局長と現事務局長

児玉さん親子

児玉さん親子

駆け付けて下さった三沢総領事

駆け付けて下さった三沢総領事

塗魂ペインターズinハワイ

1941年の12月7日…。
日本の軍国主義が、虹の楽園であるここ真珠湾を襲いました。
犠牲になったのは、罪のない、2400人にものぼる尊きいのち…。
いのちの重さは数で計ることはできません。一口に2400人といっても、亡くなられたどの方も、かけがえのない恋人であり、我が子であり、家族だったのです。
どんな言葉で言いつくろうとも、戦争を正当化する事はできません。
過去に目を閉ざす者は、現在にも、盲目となります。
ゆえに、まずは一人の日本人として、過去の軍国主義の過ちを、厳粛に受け止め、ここに眠る罪のない皆様のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

過去の過ちから目を背けるのではなく、真正面から見据えていき、心に刻み込む。
それこそが、同じ過ちを繰り返さないことに通じ、今ここに、眠っている皆様のみならず、戦争で犠牲になった、全ての皆様の、供養にもなると信じているからであります。

そして、ご冥福をお祈りすると同時に、本日、私たちはここハワイより、人類平和の旭日を輝かす決意をしてまいりたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。

私達は、日本のペインターです。
普段は、ビルや家のペンキ塗りの仕事をしています。 
過去を知り、現在を見つめ、未来に思いを馳せるとき、一人の人間として、建物やビルだけではなく、もっともっと大切なものを、塗り替えたいと思っていました。

それは…人々の心です。

ゆえに私たちは、このチームを結成したのです。
このチームの名は、魂を塗ると書いて、トーコンと発音し、ペインターズの名に冠して塗魂ペインターズと申します。

私たちには、夢があります。
それは、戦争の世紀から、平和の世紀へと、歴史を塗り替えたいという夢です。

今年、日本では、戦後70年の節目をむかえました。
しかし悲しいかな、世界ではこの70年間、紛争がやんだことは一度もありません。
たったの一度もです。
民族対立、紛争、テロ、ヘイトスピーチ、児童虐待…。
これは物質的に恵まれている先進国でも例外ではありません。
70年前の悲劇は、けして過去のものではなく、今なお、世界の様々な場所で起こっているのです。

いったい、何故これらの諸問題はなくならないのか?
いつまで、このような戦争の流転が続くのか?
私達は、もっとも根本的な理由が一つあると考えております。

それは、心の中にある「差異」へのこだわりです。
肌の色、民族、国家、宗教、等々
この「差異」へのこだわりが、相手に対する理解を妨げ、ときには、恐怖や嫉妬を生み、ついには憎悪となって、戦争を生むのではないでしょうか…

ではいったい、この戦争の世紀から、平和の世紀へと、歴史を塗り替えるためにはどうしたらよいのか…?

経済も大切、政治も大切、国際機関の強化も大切ではあります。
しかし一番大切なのは、人々の友情の輪を広げ、差別の心を転じて、多様性を重んじてゆく心に塗り替えること。
実はそれこそが、迂遠の様に見えて、最も近道だと考えております。
見た目の違いは、差別の対象ではなく、かけがえのない「個性」なのです。

ゆえに私たちは、自分たちに、何が出来るかを考え、自分たちの出来る技術で、自分たちの住む地域から、自分たちらしく、友情の輪を広げてまいりました。
一人一人の心の中に、平和の砦を築きたいとの祈りをこめて…。
そして今日、戦後70年の節目に、日本に留まることなく、かつては戦争を仕掛けた、ここハワイから、世界平和を築く行動を決意したいと思ったのです。

ある人は言う、
たかがペンキ屋にいったい何が出来るのかと…。
しかし、いつの時代も、名もなき庶民が歴史を作ってきたことを、私たちは知っています。
自らの可能性を否定しない、強い意志をもち、活動的で献身的な人間が、文化の総体を変革しゆく事を知っています。

そして大切なのは、人数の多さではなく、連帯の「絆の深さ」であることを知っています。

私たちは、政治家や博士、金持ちや貧乏人、男や女である前に誰もが一人の
「人間」だということを知っている。
日本人やアメリカ人、キリスト教徒やイスラム教徒、仏教徒である前に、
誰もが、一人の人間だということを知っています…。

そして、実は、全世界の人々が、誰一人の例外もなく、私たちと、全く同じように、家族を愛し、友を愛し、美しい自然を愛する、一人の「人間」ということを知っております。

ゆえに、今日、私たちは、あらゆる差異を、かけがえのない個性と捉える「世界市民」として、魂を塗る職業を生業とする、ペンキ屋として、今ここにいる人たちと、
この地に眠る、人々に誓いたい。

多様な文化、異なる価値観を、互いに認め合いながら、共生共存を模索してきた、
ここ美しいハワイから、世界の人たちの、心を彩る平和への運動を開始させていただきます。
今日は、私たち、塗魂ペインターズを受け入れてくださり、
本当にありがとうございました。

塗魂ペインターズ 安田啓一