希望の門 命のヴィザ

希望の門 命のヴィザ
希望の門 命のヴィザ
希望の門 命のヴィザ
希望の門 命のヴィザ
希望の門 命のヴィザ
希望の門 命のヴィザ
希望の門 命のヴィザ

この門は、杉原千畝が命のビザを発給するため、ナチスの迫害から逃れてきた人々を招き入れた門です。

「希望の門 命のヴィザ」と書いてあります。

1940年7月18日、早朝、彼がカーテンを開けると多くの人々がこの領事館を取り囲んでおりました。

ナチスの迫害から逃れ、着の身着のままで、ポーランドから何日もかけて大移動をしてきた罪なき一般市民の人々です。

当時は日独防共協定が締結されていたため、ナチスの意向に反しビザを発給すれば敵対行為とみなさます。

また、これだけ多くに人々にビザを発給するためには本国の許可が必要であったため、本国へ打診します。

しかし、三度打診しても、日本の外務省の答えは、

「最終目的国の入国許可を持たないものにビザは発給してはならない」との通り一辺倒の答えのみ。

国家の命令に従うのか…、自分自身の信念に従うのか…

彼は苦悩の上、外務省の意向に反し、ビザを発給することを選択したのです。

「私を頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。でなければ私は神に背く」これが千畝の答えでした。

ナチスから追われた難民が集まって11日目の朝、この門の外にいた人々にこう伝えたのです。

「これから皆様にビザを発給します」

瞬間、沈黙が走り、そして、どよめきが上がります。

抱き合って喜び合う人々、天に向かって両手を上げ感謝を表現する人、子供を抱き上げ頬にキスをする人、誰もが全身で喜びを表現していたのでした。

後に夫人の杉原幸子さんは当時をこう振り替えっています。

「どの民族であれ、人間に命に変わりはありません。主人は助ける人を求める人がいて、自分が助けられる立場にありながら手を差し伸べないのは、人間のなすべきことではないという信念を持っておりました」。

映像は9月のスギハラハウスプロジェクト完了後に作成させて頂いたものです。