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VISION安田塗装の社会貢献活動

「社会にとってなくてはならない企業」を目指して

人や企業の価値を、「どれだけの金銭や利益を手にすることが出来るのか」という経済的能力に委ねた時代は、私たちの住む環境に取り返しのつかない損害をもたらしました。そして今、そうした経済至上主義はもはや過去のものとなりつつあります。いや、むしろ、過去のものとしなければならないのかもしれません。
近年、先進国の心ある企業を中心に、CSR(企業の社会的責任)やSRI(社会的責任投資)といった社会貢献意識が高まり、企業の目的は利潤の追求でありながら、現在では、社会貢献抜きに銭勘定に終始している企業は、企業活動そのものに疑問を持たれるまでとなりました。

先進国社会の一員である以上、自社利益のみの小さな殻に閉じこもることを良しとせず、たとえ中小企業であっても、社会的な責任を持つことはもとより、積極的に社会に貢献してゆく。これこそが、企業の使命でなければなりません。

安田塗装では、「施工品質および経営品質の向上」は大前提としながらも、「社会貢献活動および環境活動」を最重要視し、お客様によってもたらされた利益を、事業のためだけではなく、社会と環境に還元する活動に継続的に参加させて頂こうと決意しました。

そして、この活動に建築塗装業としての強みを最大限発揮するため、塗料メーカーや販売店、同じ志を持つ全国の同業者の連帯である「塗魂ペインターズ」に参加させて頂きました。
利害を超えた目的に向かい、友との絆を深め、幅広い人々との連帯を広げることこそが、1人の力を何倍にも強めることになり、ひいては自社が社会にとってなくてはならない企業へと成長する礎となることを確信しております。

そして、社会貢献および環境貢献活動に積極的に参加した企業こそが、自社の足下を確固たるものにし、社会にとってなくてはならない企業に成長しうることを、私たちの身をもって証明させて頂く所存です。

株式会社安田塗装 安田啓一

スギハラハウス

尊敬なる大野隊長1

施工開始日、ホテルの前にて

施工開始日、ホテルの前にて

幸子夫人が植えたと言われる林檎の木の下で、

幸子夫人が植えたと言われる林檎の木の下で、

いつも施工部隊の先頭に

いつも施工部隊の先頭に

大野隊長を中心に団結する施工部隊

大野隊長を中心に団結する施工部隊

大野隊長を陰で支えるネタ場メンバー

大野隊長を陰で支えるネタ場メンバー

今回、スギハラハウス再生プロジェクトの施工の全責任を担い、足場に上り、第一線で施工に携わったのが岐阜県は大野塗装、大野将司社長、このプロジェクトの隊長です。

大野塗装のホームページ

彼は杉原千畝と同郷、根っからの職人で言葉は多くを語りませんが、責任感は人一倍強く、そして、あまりにも人の心の機微がわかる優しい男です。

今回使用する塗材は、ボランティアと言えども、私たちで決定できず、全てリトアニア文化遺産局の意向に沿うべく、どのような塗料になるのか、一か月前までわからなかったこと、

決定された塗材は、シリカットペイントといって、大理石や石灰などの粉末状の塗材とガラス水を決められた比率で攪拌し、特定の時間寝かさなければ使用できない、ヨーロッパでは500年もの間引き継がれる伝統的な塗材で、施工の難易度が高く、日本では扱われていない塗材であること、

そして、仕上げ塗装に関しては、下地のプラスターの凹凸に塗材が入らないため、ローラーが使用できず、 全て刷毛塗り、塗るのが遅く乾いたところに塗重ねてしまうと、ムラだらけになってしまい失敗してしまう材料であること、

ここような条件で、明らかに、いつものように笑顔で話しながら、たまには誰かと交代しながら、のんびりできる作業ではないことを知ります。

ムラなくきれいに仕上げるためには、等間隔に足場の上の並び、連携のとれたチームワークで、仕上げに細心の注意を払いながら、上から同時に降りてくる方法をとるしかありません。

したがって、日本からスギハラハウスを蘇生させるために、会社を空け、しかも手弁当で、8000キロの距離を超えて駆け付けてくれた腕利きの職人の中から、足場に上がれる10人程度を選抜しなければならなくなってしまったのです。

明日には作業を進めなければなりませんので、今夜中に選抜しなければならないのです。

大野隊長は、心の機微が痛いほどわかる、優しい男です。

そして、自分が職人だけに、職人の気持ちが痛いほどわかります。

「このために来たのに、現地に来て実は十数名だけしか塗れないことを知り、かつ、自分が選抜メンバーに選ばれなかったら、どんなにつらいだろう…」

そう思うと、一人一人の表情が目に浮かび、胸の締め付けられる思いとなり、涙が止まらなくなってしまうのです…

次の日、案の定、名前を呼ばれなかったメンバーの表情が曇ります。

それだけでも胸の締め付けられる思いの中、プロジェクトを成功させなけれればならなかったのです。

———つづく

映像は9月のスギハラハウスプロジェクト完了後に作成させて頂いたものです。

スギハラハウス

スギハラハウス蘇生に向けて

スギハラハウス蘇生に向けて
スギハラハウス蘇生に向けて
スギハラハウス蘇生に向けて
スギハラハウス蘇生に向けて

 昨日までに、下地のプラスターの吸い込みムラを抑えるため、水ガラス1に対して、水2を混ぜ、プライマーとし、今日から上塗り作業です。

朝一番で、材料の確認と試験塗装を施し、塗装方法について入念な打ち合わせ後開始いたします。

このシリカットペイントの塗装は、塗装後、乾燥した後に塗り重ねてしまうと、その部分だけがムラとなってしまうので、大勢であちこちに散らばって塗ることのできない塗料です。

そこで、今回の施工は、慎重には慎重を期して、面ごとに仕上げることとなり、ある1面の足場の一番上に等間隔に並び、上から順に下に降りていく塗装手法が取られました。

足場の上にのれる人数は限られているため、あちこちに散らばって全員で手を付けることが許されず、急きょ15名が選抜され、足場の上に等間隔で並び同時に降りていく手法が取られたのです。

尚、明確に申し上げますが、この選抜は、前日の夜に初めてその必要性に迫られたため、けして技術レベルが基準に行われたことではないことを、書き留めさせて頂きます。

施工の隊長であった岐阜の大野塗装の社長にしても、心優しき故、きっと苦渋の判断であったことでしょう…

と同時に、そのことを知った塗魂の皆様が、自分が前面に出ることよりも、仲間を前面に出そうと、譲り合える器の大きさがあったからこそ、もめることもなくスムーズに進行することができたに違いありません。

本来ならば、多忙の中、自社の仕事を抜け、8000キロの距離を超えて、スギハラハウスを蘇生させるために集まった皆様です。

ゆえに、急に現地において、自分は塗ることが叶わないということをとなってしまったことに思いを馳せれば、いかに複雑な気持ちを乗り越え、仲間に譲ったかは想像に難くはりません。

ここカウナスにおけるスギハラハウス蘇生には、それだけ優しく、気持ちの大きい、仲間思い人々が集ったのです。

 

映像は9月のスギハラハウスプロジェクト完了後に作成させて頂いたものです。

スギハラハウス

材料確認と試験施工

協伸の熊井社長による材料チェック

協伸の熊井社長による材料チェック

館山の佐々木さんが中心となって施工法確認

館山の佐々木さんが中心となって施工法確認

 ここカウナスに集ったのは、段取り8割ということを肌身に染みて知悉している優秀なる親方です。

はじめての材料使用するゆえ、仕上げ方法について入念な打ち合わせを行います。

「失敗は許されない」

「なんとしても成功させよう」

「杉原千畝の心を蘇らせよう」

との強い責任感が、入念な打ち合わせ、真剣なる表情となり、頭の天辺からつま先に至るまで、緊張感が漂っていました。

ここカウナスの集ったのは技術だけではなく、人格も伴った心美しき親方たちなのです。

映像は9月のスギハラハウスプロジェクト完了後に作成させて頂いたものです。

スギハラハウス

クライデツァイトのシリカットペイント

基材

基材

石灰や大理石粉末が主成分の基材

石灰や大理石粉末が主成分の基材

基材に水ガラスを入れ攪拌

基材に水ガラスを入れ攪拌

平尾社長と上林さん

平尾社長と上林さん

今回、スギハラハウスの再生において、リトアニアの文化遺産局から許可が得られた材料はドイツのクライデァイト社製のシリカットペイントで、下記の材料を混合して使用する2液型の塗料です。

・大理石の粉末や石灰などからできている粉末状の基材

・水ガラス溶液

はじめに、下塗りは、水ガラス2に対して水を1で混合しプライマーとし、仕上げのムラを抑えます。

次に、中塗り上塗りは、粉末の基材12㎏に対し、水ガラス17リットルを撹拌し、30分間寝かし、なじませて使用する塗料で、ヨーロッパでは500年前から伝わる伝統的な材料で、重要文化財に使用されることの多い材料です。

但し、日本では輸入されていないことや、中塗り、上塗りは全て刷毛塗りで、ローラー仕様のできない、本国ドイツでは、マイスターのみが使用を許された難易度の高い仕上塗材です。

 

 

 

 

 

 

 

映像は9月のスギハラハウスプロジェクト完了後に作成させて頂いたものです。

希望の門 命のヴィザ

希望の門 命のヴィザ
希望の門 命のヴィザ
希望の門 命のヴィザ
希望の門 命のヴィザ
希望の門 命のヴィザ
希望の門 命のヴィザ
希望の門 命のヴィザ

この門は、杉原千畝が命のビザを発給するため、ナチスの迫害から逃れてきた人々を招き入れた門です。

「希望の門 命のヴィザ」と書いてあります。

1940年7月18日、早朝、彼がカーテンを開けると多くの人々がこの領事館を取り囲んでおりました。

ナチスの迫害から逃れ、着の身着のままで、ポーランドから何日もかけて大移動をしてきた罪なき一般市民の人々です。

当時は日独防共協定が締結されていたため、ナチスの意向に反しビザを発給すれば敵対行為とみなさます。

また、これだけ多くに人々にビザを発給するためには本国の許可が必要であったため、本国へ打診します。

しかし、三度打診しても、日本の外務省の答えは、

「最終目的国の入国許可を持たないものにビザは発給してはならない」との通り一辺倒の答えのみ。

国家の命令に従うのか…、自分自身の信念に従うのか…

彼は苦悩の上、外務省の意向に反し、ビザを発給することを選択したのです。

「私を頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。でなければ私は神に背く」これが千畝の答えでした。

ナチスから追われた難民が集まって11日目の朝、この門の外にいた人々にこう伝えたのです。

「これから皆様にビザを発給します」

瞬間、沈黙が走り、そして、どよめきが上がります。

抱き合って喜び合う人々、天に向かって両手を上げ感謝を表現する人、子供を抱き上げ頬にキスをする人、誰もが全身で喜びを表現していたのでした。

後に夫人の杉原幸子さんは当時をこう振り替えっています。

「どの民族であれ、人間に命に変わりはありません。主人は助ける人を求める人がいて、自分が助けられる立場にありながら手を差し伸べないのは、人間のなすべきことではないという信念を持っておりました」。

映像は9月のスギハラハウスプロジェクト完了後に作成させて頂いたものです。